メタ秋田は「地方を変えたい」、「日本を変えたい」という熱い想いを持つ人々に寄り添い
「0から1」、「1から100」を共に考え、持続可能性のある事業作りに取り組みます。
Meta Akitaのコミュニティにはあらゆる秋田犬情報が集約され、全世界の秋田犬ファンがカジュアルな雑談や情報交換を楽しむことができます。
また、クリエイター向けのコンテスト(イラスト、音楽、動画、その他)を定期的に開催し、選ばれたアイデアは秋田犬保存会の公認とMeta Akitaの支援を受けて、商品化や事業化につなげていきます。
PHASE 1
「日本犬6種」の祖先は、
大きく縄文犬と弥生犬に大別され、
秋田犬はこの二つの犬種の間で
誕生したといわれています。
秋田の山間で狩猟を営むマタギ(猟師)が育て、
猟の際に用いたマタギ犬が土台となっています。
その昔は「大館犬」と呼ばれていました。
しっかりした体、肢、口吻
三角の立ち耳
クルリとまいた巻尾
高い身体能力(闘犬・狩猟犬として改良・飼育された経緯があるため)
飼い主に忠実(番犬としての適正に優れている)
性格:おだやかで従順
毛色:アカ・シロ・トラ
戦国時代(1467年-1615年)
戦国時代には大名の番犬として活躍し、その後はクマや鹿を狩る助手となり、さらには番犬として家族を守る役割を果たしていました。
大正時代(1912年-1926年)
大正初期になると秋田犬をはじめとする日本犬の保存運動が全国で起こり始めます。大正8年(1919)に国の天然記念物保存法が発令され、それに伴い、翌年大正9年(1920年)内務省の視察団が調査のために大館市を訪問しましたが、秋田犬の雑化が原因で天然記念物の認定を逃してしまいます。
昭和時代(1926年-1989年)
大館市で秋田犬の繁殖改良が精力的に行われ、昭和2年(1927)5月には、地元の有志により「秋田犬保存会」が発足し、純血種の保護繁殖、秋田犬による文化の発展に寄与する動きがはじまりました(※翌年6月に「日本犬保存会」(東京都)も発足しました)。昭和6年(1931)には秋田犬に関する再調査が行われ、同年7月31日、日本犬として初めて、9頭の優秀犬が国の天然記念物として指定されました。昭和9年、秋田犬保存会では犬籍登録をスタートしました。「秋田犬標準」が設定され、展覧会も開催されるようになりましたが、日中戦争〜太平洋戦争の影響で中断されることになってしまいます。
戦時中(1937年-1945年)
日中戦争から太平洋戦争までの長い戦時下において、大型犬である秋田犬は苦難の時期を迎えます。深刻化する食糧難は、大量の餌を必要とする秋田犬の立場を悪化させてしまったのです。秋田犬の毛皮は軍用の防寒衣料としても使用され、成犬になれる頭数も激減します。昭和20年(1945)の終戦時に生存できた秋田犬は、愛犬家によって匿われた20頭に満たない数でした。
戦時下では軍用犬の需要が高まり、大型犬である秋田犬を軍用犬に、という動きもありました。しかし、秋田犬の性質が軍用犬向きではないこともあり、容易に登用には至りませんでした。結果、軍用犬として登用されていたジャーマン・シェパード・ドッグとの交配を進めたために、シェパード顔の秋田犬が多く誕生することとなりました。このシェパード顔の秋田犬はアメリカ占領軍の関係者に好まれ、多くがアメリカに渡っており「アメリカン・アキタ(別名/グレート・ジャパニーズ・ドッグ)」として現在も愛されています。
戦後(1945年-現在)
秋田犬保存会が中心となってわずかに生き残った純血種の個体を土台にして、本来の純血種に近づける努力が続けられています。
登録数の現状
秋田県大館市が秋田犬発祥の地であるが、現在大館市で登録されているのは80頭に満たない。ピーク時の1972年には年間45,000頭を超える秋田犬の登録があったが、現在は年間2,500頭程度登録されている。近年は海外での登録数が急増し、年間約4000頭登録されている。
推定飼養頭数
・国内:24,500頭
・海外:10,700頭
・計 35,250頭
著名な秋田犬保有
・ヘレン・ケラー
・横綱朝青龍
・ザギトワ
秋田県保存会で主催している展覧会で適応される審査基準は以下のとおり。
秋田犬保存会の標準は昭和13年(1938)に制定され、その後、複数回の改定を経ている。
最初に「本質と表現」が記され、次に外貌・頭・顎・耳・眼・口吻・鼻・歯牙・胸腹・背腰・前肢・後肢・尾・被毛・毛色の15項目からなり、ほかに減点、失点の各7項目からなっている。
~忠犬ハチ公の物語~
1924年、東京・渋谷に住む大学教授のもとに秋田犬の幼犬が届けられた。
「ハチ」と名づけられた幼犬は教授の愛情を受けて育ち、いつしか教授を渋谷駅まで送り迎えするのが毎日の日課となった。ところが1925年、教授は仕事先で急死してしまう。だが、ハチは来る日も来る日も渋谷駅の改札前で教授を待ち続けた。そのけなげな姿が話題となり、多くの人々がハチに同情を寄せた。
ついにハチは渋谷駅に寝泊まりするようになり、1935年に亡くなるまで駅で帰らぬ主を待ち続けたという。
ハチ公がなくなる少し前の1934年4月に、渋谷駅前にハチ公の銅像が建てられた。
このハチが生まれたのが秋田県大館市であり、秋田犬のルーツ自体も大館市にある。
2009年にはリチャード・ギアが主演し『HACHI 約束の犬』という映画にもなっている。
秋田県には、人々に愛される秋田犬を扱った観光施設や祭りがあります。
秋田犬会館は日本が誇る最も世界で有名な犬種、秋田犬を扱う博物館で、秋田県の大館市にあります。博物館は「秋田犬保存会」の設立50周年を記念して建てられました。この博物館は日本の犬種を扱う博物館としては日本で唯一の施設です。
秋田県の湯沢市で開催される
「犬っこまつり」では、犬が構えた姿勢の雪像が街のいろんな場所で作られます。犬っこという名の魔よけが建物の中に飾られます。観光客の多くが自分のペットを連れてきます (もちろん秋田犬を連れてくる人は多いです)
大館市の
「アメッコ市」には400年の歴史があります。このお祭りでは飴を売る露店が並び、この飴を食べると病気にかからないと言われています。この祭りでは「秋田犬保存会 」が主催する秋田犬のパレードもあります。
世界最速で
少子高齢化が進む街を
世界一
豊かさを誇れる街に
私たちのふるさと秋田は、日本酒、きりたんぽ、ハタハタを始めとした【食文化】、なまはげ、花火大会、竿灯といった【祭り文化】、曲げわっぱ、桜皮細工といった【伝統工芸】、海・山・川・湖・温泉と、美しい四季を感じられる【自然】が豊富な県です。
しかし、世界最速で少子高齢化が進んでいる地域であることも事実です。
例えば、国内主要都市からの距離が遠くアクセスが悪いこと、積雪や寒さが理由で移住者が増えづらい環境であること、人材や情報が不足していること、その結果として急激な経済の縮小に歯止めがかからない状況が続いています。
インターネットは、世界の情報を取得できるようになったWeb1、個を発信できるようになったWeb2、P2Pで価値の交換が可能となったWeb3と進化を続けています。
秋田は長い間、都市部から人を呼び込むために様々な取り組みをしてきましたが、人口減少に歯止めをかけられていません。私たちはWeb3技術と秋田の持つコンテンツを活用し、国境を超えた分散型コミュニティを作り、世界の人々に「秋田」を感じてもらい、地方創生に貢献します。
私たちは約100年の歴史がある「公益社団法人秋田犬保存会」の公認企業です。
まず私たちが挑戦するのは、Web3のコンセプト(NFT、SBT、暗号資産、DAO、メタバース)を活用し、秋田が世界に誇る「秋田犬」を用いた経済圏を作ることです。
そして日本・世界各国のメタバースと接続し、「世界の誰もがどこにいても秋田を楽しめる」未来を作り上げていきます。
【Meta Akitaの応援をよろしくおねがいします!】
CAO
(AKITA INU OFFICER)
DIRECTOR
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